バイエルン国立管弦楽団とその公演の歴史について

2025年バイエルン国立管弦楽団来日公演

 

バイエルン国立管弦楽団は、世界で最も歴史と伝統のあるオーケストラのひとつですが、2025/26シーズンはこれまでとは異なり、ミュンヘンではなく中国と日本でのコンサートで幕を上げることとなっています。2017年の日本での最後の公演から8年、バイエルン国立管弦楽団は、また世界各地の主要な音楽都市と結びつくという長年の伝統を引き継ぐこととなります。

2025年9月26日、バイエルン国立管弦楽団の144人の音楽家たちは、オーケストラの歴史上初めて、東京で、そして日本で初めての座席配置がヴィンヤード形式のコンサートホールであるサントリーホールを体験します。指揮者として初めてここに立つのはウラディーミル・ユロフスキで、最初の演目はヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの交響曲第32番ト長調、そしてピアノ協奏曲第23番イ長調です。この夜の最後の曲目はリヒャルト・シュトラウスの作品です。彼はミュンヘンで生まれ育っただけではなく、バイエルン国立歌劇場(当時はまだ宮廷歌劇場と呼ばれていた)の初代カペルマイスターを務めていました。コンサートのフィナーレとなるシュトラウスのオペラ『薔薇の騎士』の前の曲目である『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら』は、その当時作曲されたものです。

翌2025年9月27日は、ミューザ川崎シンフォニーホールでのバイエルン国立管弦楽団の初公演です。この夜も音楽総監督ウラディーミル・ユロフスキの指揮のもと、リヒャルト・ワーグナーとアントン・ブルックナーの作品を中心に、ドイツ・ロマン派の音楽に焦点を当てたプログラムをお届けします。曲目はワーグナーのオペラ『タンホイザー』の序曲とブルックナーの交響曲第4番変ホ長調に加え、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトのピアノ協奏曲第23番イ長調です。この曲でソリストとして鍵盤に向かうブルース・リウはバイエルン国立管弦楽団との初共演となります。

 
1742: Frankfurt, Germany
1742: Frankfurt, Germany
1882: Bayreuth, Germany
1882: Bayreuth, Germany
1917: Bern, Switzerland
1917: Bern, Switzerland
1938: Milan, Italy
1938: Milan, Italy
1953: London, England
1953: London, England
1953: London, England
1953: London, England
1984: Shanghai & Peking, China
1984: Shanghai & Peking, China
1984: Shanghai & Peking, China
1984: Shanghai & Peking, China
1984: Shanghai & Peking, China
1984: Shanghai & Peking, China
1984: Shanghai & Peking, China
1984: Shanghai & Peking, China
1988: Tokyo, Japan
1988: Tokyo, Japan
1988: Milan, Italy
1988: Milan, Italy
2001: Tokyo, Japan
2001: Tokyo, Japan
2001: Tokyo, Japan
2001: Tokyo, Japan
2001: Tokyo, Japan
2001: Tokyo, Japan
2001: Tokyo, Japan
2001: Tokyo, Japan
2006: Barcelona, Spain
2006: Barcelona, Spain
2006: Paris, France
2006: Paris, France
2015: Vienna, Austria
2015: Vienna, Austria
2015: Oman
2015: Oman
2015: Oman
2015: Oman
2020: Luzern, Switzerland
2020: Luzern, Switzerland
2023: London, England
2023: London, England
2023: Paris, France
2023: Paris, France

世界中がホームグラウンド - バイエルン国立歌劇場の国内外での公演の伝統

 

バイエルン国立歌劇場とバイエルン国立管弦楽団(1918年以前は宮廷歌劇場とヴィッテルスバッハ宮廷管弦楽団)は、創設以来、その芸術的能力とミュンヘンの音楽生活の素晴らしさを世界中に示すことを自らの使命であると考えています。

その昔、バイエルン選帝侯がアウクスブルクの帝国議会やフランクフルトの帝国戴冠式に出席した際には、宮廷管弦楽団が文化的な代表として同行していました。17世紀から18世紀には、個々の団員が教育旅行や演奏会旅行を命じられました。あるときには、そのために数カ月間も仕事から離れ、ミュンヘンの音楽技術を世界に広めたり、あるいは、イタリアやフランスの新しい音楽をミュンヘンへ持ち帰ったりしていました。

19世紀半ばには、鉄道の敷設により団体での旅行も容易かつ迅速になったことで、宮廷管弦楽団の旅行も頻繁に行われるようになりました。1849年にアウグスブルクで行われた「モーツァルト記念式典」の際の宮廷管弦楽団の演奏会は、近代における宮廷管弦楽団の初の客演演奏とされています。

1882年、ルートヴィヒ2世は、リヒャルト・ワーグナーが夏の間、宮廷歌劇場の管弦楽団と合唱団を自由に使用できるようにしました。これによりワーグナーは、バイロイト音楽祭で『パルジファル』のリハーサルと初演を行うことができました。この取り決めは、その後二年間続きました。

1913年には、国立歌劇場の団員全員がニュルンベルクに赴き、ヴァルハラでのワーグナー胸像除幕式に際して、ワーグナーの『ニュルンベルクのマイスタージンガー』を演奏しました。1917年には、ミュンヘンで初演されたばかりのハンス・プフィッツナーのオペラ『パレストリーナ』を携えて、ベルン、チューリッヒ、バーゼルでの公演旅行が行われました。

バイエルン国立歌劇場が公演旅行に出る際、通常、この歌劇場は、モーツァルト、ワーグナー、シュトラウスの作品で鍛えられた世界一流のオーケストラの独特のサウンドにより、彼らの「守神」であるモーツァルト、ワーグナー、シュトラウス、あるいはこの劇場にゆかりの深い作品の擁護者として公演を行います。

第二次世界大戦後の最初の海外公演は、1953年にモーツァルトからプッチーニまでの幅広いプログラムを携えてアイルランドで行われました。同年には、ロンドンのコヴェント・ガーデン王立歌劇場で二度目の海外公演として、シュトラウスのオペラ三作品である『アラベッラ』、『カプリッチョ』、そして、前年にザルツブルクで初演されたばかりの『ダナエの恋』を上演しました。今日に至るまで『ダナエの恋』は、これがロンドンでは唯一の上演となっています。

バイエルン国立歌劇場は、ミラノのスカラ座やパリのシャンゼリゼ劇場など、ヨーロッパの音楽都市でも定期的に公演を行っています。

20世紀から21世紀にかけ、ドイツ国内での公演も、1951年のリンダウ市立劇場の開場記念公演『フィガロの結婚』を初めとし、1987年のベルリン音楽祭でのベルリン市制750周年記念公演『カルディラック』や『ラ・チェネレントラ』など、数多く開催されています。

バイエルン国立歌劇場とバイエルン国立管弦楽団のアジアへの公演旅行もまた伝統の一つとなっています。1974年に東京のNHKホールに『フィガロの結婚』、『ドン・ジョヴァンニ』、『ワルキューレ』、『薔薇の騎士』で招待されたことをきっかけに、2017年までに6回の来日公演が行われています。

1984年、バイエルン国立歌劇場は初めて中国を訪れましたが、これは西欧の歌劇場による中国初の公演となりました。上海と北京では、『フィガロの結婚』と『魔笛』の上演に加え、ウェーバー、モーツァルト、ブルックナーの作品が演奏されました。2012年には、国立歌劇場は香港にて『コジ・ファン・トゥッテ』を上演しました。南ドイツ新聞の記事の見出しによると、「バイエルン国立歌劇場がモーツァルトにより香港という新天地を開拓し、観客は驚き、歓声をあげた」と報じられていました。2024年には、ミュンヘンで上演された『ナクソス島のアリアドネ』が香港芸術祭のオープニングを飾っています。

バイエルン国立管弦楽団も、国立歌劇場の公演に際しての演奏に加え、世界各地のコンサートホールで定期的に公演を行っており、そのプログラムは多岐に渡っています。最近では、2023年にオーケストラ創立500周年を記念し、音楽総監督ウラディーミル・ユロフスキの指揮の下、メラノ、ルツェルンからブカレスト、ベルリン、ハンブルクを経て、ロンドン、パリ、そしてリンツ、ウィーンへの大掛かりなヨーロッパツアーが行われました。

バイエルン国立管弦楽団

 

バイエルン国立管弦楽団は、2023年に創立500周年を迎え、世界で最も歴史と伝統のあるオーケストラのひとつとなりました。バイエルン国立歌劇場を本拠地とするこのオーケストラは、コンサートステージだけではなくオーケストラ・ピットでの演奏も行っています。

2024年には、雑誌『オペルンヴェルト』が実施した批評家投票で、10回連続(通算12回目)のオーケストラ・オブ・ザ・イヤーに選ばれ、その前年には、ロンドンで開催されたグラモフォン賞でも、バイエルン国立歌劇場自主レーベルのオペラ&交響楽団としての録音(『死の都』 、『雪の女王』 、マーラーの交響曲第7番)で、グラモフォン賞史上前例のない栄誉に輝きました。

バイエルン国立管弦楽団は、ミュンヘン宮廷管弦楽団から誕生し、その起源は1523年にまで遡ることができます。このアンサンブルの最初の有名な指揮者には、1563年からのオルランド・ディ・ラッソの名前が挙げられます。当初は、教会音楽が芸術活動の中心でしたが、17世紀に入ると、徐々に世俗的なコンサートやオペラの上演も増えていきました。18世紀半ばには、オペラの定期公演が始まり、今日に至るまでバイエルン国立管弦楽団の重要なレパートリーとなっています。モーツァルトの『ラ・フィンタ・ジャルディニエラ』(1775年)と『イドメネオ』(1781年)の初演は、大きな評判となりました。

1811年、宮廷楽団のメンバーたちは、音楽アカデミー協会(Musikalische Akademie e.V.)を設立し、アカデミーコンサートというミュンヘン初の連続公開コンサートをスタートさせ、クララ・シューマン、ヨハネス・ブラームス、エドヴァルド・グリーグをはじめとする多くの芸術家をミュンヘンの聴衆に紹介しました。今日に至るまで、音楽アカデミーとその活動は、ミュンヘンとバイエルン自由州の音楽生活に大きな影響を及ぼしています。国立劇場での交響楽団によるコンサートやさまざまな室内楽シリーズに加え、協会は、プロとしての生活を始めたばかりの器楽奏者のサポートと育成を目的としたATTACCAユース・オーケストラやヘルマン=レーヴィ・アカデミーを支援しています。バイエルン国立管弦楽団コンツェルト有限会社の一員として、音楽アカデミーはオーケストラ・ツアーや交響楽団公演の企画・運営も行っています。それにより、ベルリン、ウィーン、ミラノ、ルツェルン、パリ、ロンドン、東京、ソウル、台北、ニューヨークといった国際的な音楽都市でのバイエルン国立管弦楽団の定期的な公演が実現しています。2023年9月には、バイエルン国立管弦楽団は創立500周年を記念し、メラノ、ルツェルン、ハンブルク、ベルリン、ブカレスト、ロンドン、パリ、リンツ、ウィーンという7カ国9都市での計11回の公演を行いました。

このオーケストラが関わった偉大な作曲家の中でも、リヒャルト・ワーグナーとは特別な結びつきがあります。1865年、ハンス・フォン・ビューローは国立劇場で『トリスタンとイゾルデ』の世界初演を指揮しました。ワーグナーの他の3つのオペラ、『ニュルンベルクのマイスタージンガー 』(1868年)『ラインの黄金』(1869年)、『ワルキューレ』(1870年)もミュンヘンで初演されています。ヘルマン・レーヴィ、リヒャルト・シュトラウス、フェリックス・モットル、ブルーノ・ワルター、ハンス・クナッパーツブッシュから、サー・ゲオルク・ショルティ、ヨーゼフ・カイルベルト、ヴォルフガング・サヴァリッシュ、ズービン・メータ、ケント・ナガノ、キリル・ペトレンコまで、各時代の最も重要な音楽家たちの多くがバイエルン国立管弦楽団の首席指揮者を務めています。バイエルン国立管弦楽団はカルロス・クライバーとも親密な関係にありました。2021/22シーズンには、ウラディーミル・ユロフスキがバイエルン国立管弦楽団の音楽総監督に就任しました。

バイエルン国立歌劇場とその歴史

 

1653年にバイエルンの王宮で初めてジョヴァンニ・バッティスタ・マッチョーニによる劇的カンタータ『L’Arpa festante』が上演されたのではないかと考えられています。これは、ミュンヘンにおける3世紀半以上におよぶオペラの長い歴史の始まりとなっただけではなく、ドイツにおけるオペラというジャンルの始まりそのものです。

それから100年という月日が流れ、1753年に建築家フランソワ・キュヴィリエが(ザルファトーア教会の近くの最初の「選帝侯オペラハウス」の後に)、このジャンルのための専用劇場である(旧)レジデンツ劇場を建設します。このロココ様式の夢のような建物は、今日でも他に例を見ない親密な雰囲気のオペラハウスとして知られています。1781年のカーニバルの季節には、この劇場は音楽史上おそらく最も輝かしい瞬間を迎えました。モーツァルトの『イドメネオ』の世界初演です。

モーツァルトの作品を取り上げることが、ミュンヘン・オペラのレパートリーの柱となりました。オペラの流行が変化しても、モーツァルトの人気に変わりはありませんでした。ルートヴィヒ1世(在位1825年~1848年)は、手狭になったキュヴィリエ劇場から、新しく建設されたより広々とした国立劇場にオペラを移転させました。この劇場は1818年に落成したものの、1823年に全焼してしまいます。劇場は速やかに再建されましたが、それはミュンヘンで「ビール・ペニー」と呼ばれる収益によるものでした。

1864年、ルートヴィヒ2世がバイエルンの国王となり、その後数年間、ミュンヘンが彼の敬愛する作曲家リヒャルト・ワーグナーの活動の中心地となりました。宮廷・国立劇場でのワーグナーの作品の初演は4回にも及びました。『トリスタンとイゾルデ』の「三幕の劇進行」は、他の劇場では上演不可能とされていましたが、1865年6月10日、ハンス・フォン・ビューローの指揮により上演されました。続いて1868年には『ニュルンベルクのマイスタージンガー』が上演されました。さらに、作曲家の意志に反して、しかしパトロンである国王の特別な要望により、1869年には『ラインの黄金』翌年には『ワルキューレ』が上演されました。

ワーグナーがミュンヘンを去った後も、ワーグナーはミュンヘンのレパートリーの第2の柱として残り、1901年には、祝祭劇場として計画された新しい建物、プリンツレーゲンテン劇場で『マイスタージンガー』によるこけら落としが行われました。

1886年には、ミュンヘン宮廷楽団の首席ホルン奏者の息子であるリヒャルト・シュトラウスが、宮廷楽団の第3代カペルマイスターとなりました。彼の国際的なキャリアはミュンヘンではなく、ドレスデンやベルリン、ウィーンで始まりました。しかし、早くも1910年には、彼の故郷であるミュンヘンで最初の「シュトラウスの日」が祝われています。リヒャルト・シュトラウスはこうしてミュンヘン・プログラムの第3の柱となりましたが、彼のオペラのうち、この場所で初演されたものは『平和の日』(1938年)と『カプリッチョ』(1942年)のみです。

『カプリッチョ』は、旧国立劇場で行われた重要な初演としては最後のものとなりました。1943年10月3日の夜、マックス・ヨーゼフ広場の建物は焼夷弾の直撃を受け、大部分が破壊されてしまいました。

戦後は、プリンツレーゲンテン劇場で公演が続けられました。まず、ゲオルク・ハルトマンが芸術監督として戦後のアンサンブルの舵取りをし、次にルドルフ・ハルトマン(血縁関係はない)が、若きゲオルク・ショルティ、ルドルフ・ケンペ、フェレンツ・フリッチャイ、ヨーゼフ・カイルベルトという重要な指揮者たちに支えられ、二度目の再建を担いました。1963年11月21日、カイルベルトが旧劇場の跡地に再建された国立劇場の落成式での指揮をとりました。プログラムには、またしてもマイスタージンガーが選ばれました。

1967年には、再び演出家であるギュンター・レナートが芸術監督に就任し、それとともにヴォルフガング・サヴァリッシュが長い間、音楽総監督を務め大きな影響を及ぼしました。アウグスト・エファーディング(芸術監督、1977年~1982年)とサヴァリッシュ(1982年~1993年)は、現在まで続く啓蒙的かつ伝統を重んじる様式を生み出しました。芸術監督サー・ピーター・ジョナス(1993年~2006年)の下で、レパートリーがバロック音楽にも広げられ、独特の演出スタイルが確立されました。サー・ピーターのモットーであった「万人のためのオペラ」は、彼の後継者たちにも受け継がれています。2008年にはオーストリア人のニコラウス・バッハラーが芸術監督に就任し、2013年からはキリル・ペトレンコが音楽総監督を務めています。

この劇場の近年の歴史は、世界最大級のオペラハウスへ寄せられる期待と約80曲からなるレパートリーを、現代社会の緊急の問題と結びつけようとする試みが特徴となっています。これらの問題には、「オペラ」という特別な芸術の持つ時代の社会的な意味も含まれています。2021年から芸術監督を務めるセルジュ・ドルニーは、音楽総監督のウラディーミル・ユロフスキとともにバイエルン国立歌劇場をミュンヘン市民やその(文化)シーンとのネットワークを形成しようと試みています。

ホルガー・ノルツェ教授の小論の要約版

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Photo credits

1742: CC-BY-SA -  Historisches Museum Frankfurt  - Inv: CO1142 -   Foto: Horst Ziegenfusz
1882: Nationalarchiv der Richard-Wagner-Stiftung, Bayreuth
1917: Emil Cardinaux, Graph. Anstalt J. E. Wolfensberger, Pfitzner. Palestrina. Gesamt-Gastspiel des Münchner Hoftheaters 1917, 1917, Museum für Kunst und Gewerbe Hamburg, Public Domain, Online: www.mkg-hamburg.de/object/mkg-e00110132
1938: Hanns Holdt - aus:Hrsg Generalintendanz der Bayerischen Staatstheater: Die Münchener Staatsoper in Mailand 29. u. 30. März, 1. u. 3. April 1938
1953: Archiv der Bayerischen Staatsoper
1984: Fotograf Unbekannt 
1988: Archiv der Bayerischen Staatsoper 
2001: Wilfried Hösl 
2006: Wilfried Hösl 
2006: Deckblat - Archiv der Bayerischen Staatsoper 
2015: Wilfried Hösl 
2020: Wilfried Hösl 
2023: Geoffroy Schied